井上周防之房の墓所がある岡垣町高倉の玉雲山・龍昌寺に行ってみた

黒田孝高(官兵衛・如水)の重鎮として信頼も厚かった井上周防之房が晩年愛した高倉の地

玉雲山・龍昌寺は高倉神社にほど近い場所にあります。

ここに黒田職隆・孝高・長政・忠之と黒田家の重鎮として戦国時代に活躍し、黒田二十四騎・黒田八虎の1人であった井上周防守之房のお墓があるそうです。

それは一度は見ておかないとと行ってまいりました。そしてこんなに良い場所だったのかと驚いたのでした。

 

龍昌寺

龍昌寺仁王門、いやあ立派な門構えですね~ 

 

龍昌寺

阿形像、迫力ですね。

 

龍昌寺

吽形像、こちらも迫力でございます。仁王像は寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神としての性格をあらわしているそうですが良いですね~

 

龍昌寺

仁王門を中から見上げてみるとなにやら絵が。よく見ると奉納された方々の名とともに干支が描かれているようですね。

 

龍昌寺

山門の様子、時代を感じます。

 

龍昌寺

本堂の様子。龍昌禅寺と書かれてあります、良い雰囲気ですね。

門の前にあった岡垣町教育委員会の説明によると

玉雲山龍昌寺

宗派・曹洞宗  本尊・釈迦牟尼仏

岡城を築城したと伝えられる麻生家延の孫麻生弘繁の開基で、長門国深川の大寧寺八世足翁永満禅師が開山。1490年頃の創建と思われる。麻生弘繁の子隆盛は天文15年(1546年)に大友の家臣瓜生貞延に攻められ、内浦の海蔵寺で自刃した。その後瓜生貞延が岡城に居住し支配したので、龍昌寺は衰微した。慶長5年(1600年)に黒田長政が筑前国に入り、守りを固めるため国内に六つの城を築き武将を配置した。そのうち井上九郎衛門周防之房(井上道柏・井上周防 以下井上周防)は豊前方面に対する備えとして黒崎城を築き、八幡、遠賀一円を領した。井上周防はもともと信心深く禅門に入っていたが、閑寂、幽邃の龍昌寺を愛し、ここを菩提寺に定め 元和3年(1617年)に再興した。

とあります。 

 

龍昌寺

墓所の場所はちょうど本堂の裏あたりになりますが、本堂左側を見てみるとこんな感じで案内があります。

 

龍昌寺

へえこんな場所があったんだとなりますね、木々に囲まれた不思議な空間です。

 

龍昌寺

こちらが井上周防の墓所になります。

 

龍昌寺

井上周防のお墓。

 

龍昌寺

このようにとても静かな場所に井上周防之房の墓所がありました。ほんと知りませんでした、こんな良いところがあるなんて。他にもこの地に関係のある竹井伊豆守の墓所や瓜生長門守の墓所もありました。

 

龍昌寺

さらに本堂に戻って左側を見ると平和観音菩薩像があるほうへ向かう階段があります。こちらも足を運んでおきたい場所だと思いますよ。

 

龍昌寺

途中にはお地蔵さんがたくさんあります。ちょっと階段を登ると鐘楼が見えてきますが、ここで除夜の鐘鳴らしてんだとなりました。都市部とかだとお寺が鐘を鳴らすのも周辺住民から苦情が出たりするご時世ですが、ここだと気兼ねなく鳴らせますね。鐘の音は聞いていて心地よいですしね。

 

龍昌寺

鐘楼のところに平和観音菩薩像があるほうへ向かうこういう石燈篭がずらっと並ぶ道があります。先へ進みます。

 

龍昌寺

先へ進んだ先に不動明王像がありました。想像以上に見所が満載です。

 

龍昌寺

平和観音菩薩像で、ちょうど海の見える方角に建立されてあります。

 

龍昌寺

写真ではかなりわかりにくいですが、高倉を眼下にまたちがった角度から響灘を眺めることができる展望スポットでもありました。 以上、戦国時代黒田家に仕えた智将・井上周防之房の墓所がある岡垣町高倉の龍昌寺でした!

玉雲山・龍昌寺の場所↓ 福岡県遠賀郡岡垣町高倉1154

一度お試しをおすすめ↓