北九州市若松区にある戦艦大和と共に沖縄へ向かった涼月・冬月が眠る軍艦防波堤で駆逐艦・柳を見てきた

軍艦防波堤(正式名称・響灘沈艦護岸)

若松区響町に戦時中の1945年4月7日、天一号作戦で沖縄方面に出撃中に坊ノ岬沖で沈んだ戦艦大和とともに海上特攻隊となった駆逐艦・涼月・冬月が眠っています。涼月は艦体を損壊しながらも奇跡的に帰還した駆逐艦。冬月は矢矧など沈艦からの生存者を助け帰還した駆逐艦。

軍艦防波堤

写真は第一次世界大戦中に地中海に遠征したのち、佐世保海兵団の練習船となっていた駆逐艦・柳(初代)

 

軍艦防波堤

現在はぱっと見た感じ柳の上部しか見ることができません。が、現在立ってるあたりに2隻の軍艦が眠っています。

 

説明板

説明板。現役時代の勇ましい写真が展示されてあります。

太平洋戦争終結後、旧日本海軍艦艇の多くは戦時賠償として連合国に引き渡されるか解体されるかしたが、何隻かの艦艇は解体された船体が防波堤として利用された。 北九州市にある若松港(現在の北九州港)の場合、運輸省第4港湾局により構築された長さ770mの防波堤のうち約400mを、駆逐艦涼月」「冬月」「柳(初代)」の3隻の船体を沈設して作られた。 設置当初は船体そのものが防波堤の役割を果たしていたが、のちに埋設または周囲をコンクリートで覆われた(後述)。近年、文化財としての価値が見いだされ、港湾管理者である北九州市港湾局(現・港湾空港局)による修復および由来を解説した看板が設置[2]されたほか、土木学会による「近代土木遺産2800選」に選出されている[3]。”引用:wikipedia

なるほどね~終戦前後は鉄なんかほぼなかったでしょうから、戦後復興の礎となったのですね。
軍艦防波堤後部
柳の船尾のほうから見るとこの方向一直線に柳・涼月・冬月の順で防波堤として置かれたそうです。

当時は北側の埋立地もなかった為、洞海湾入り口を響灘の波風から守る役目。

洞海湾を行き来する船舶をおおいに助けたことでしょう。

涼月と冬月は時の経過とともに船体の崩壊が進んだため1962年頃コンクリートで完全に埋設されたそうです。

この場所は釣りの名所にもなっていてこの日も釣り人が来ていました。
軍艦防波堤
洞海湾をはさみ対岸には小倉や戸畑の沿岸が一望できます。
軍艦防波堤
現在見ることのできる柳は上部のみですがかろうじて姿をとどめています。なんとか後世に残していきたい戦争の遺産ですね。
軍艦防波堤
ただ潮や風に吹きさらされて環境的にはきびしいのかな~。
『艦これ』とかゲームが流行ってましたが(今も一定数ユーザー居そうだけど)そういうのをきっかけにしてもっと若い方が目を向けてくれると良いですね。
ちなみに当時犠牲となった乗組員の慰霊碑がこの場所からも見える高塔山の中腹にあります。
軍艦防波堤の場所は↓