筥崎宮|福岡市東区|日本三大八幡・厄除け開運勝利の神様

外敵から日本を守った・元寇の舞台

筥崎宮 式内社 別表神社 創建 延喜21年(921年)八幡神の神託があり醍醐天皇が神勅により敵国降伏の宸筆を下賜され御社殿を建立、延長元年(923年)筑前国穂波郡の大分宮を御遷座。

御祭神 応神天皇 神功皇后 玉依姫命

神功皇后が応神天皇をお産みになった際の胞衣を筥に入れこの地に納め、筥松を植えられたのが筥崎宮の名の由来だそうです。地名である箱崎は筥という字だとおそれ多いことから箱崎という字になった経緯があるようです。

9月頃盛大に行われる放生会のお祭りも有名ですね。

古来より様々な福岡の歴史を見てきた地域でもあります。元寇では戦の舞台となり神風によって元軍を退け勝利したという逸話が、八百万の神々の国といわれる日本らしくて印象的です。

 

筥崎宮

こちらは筥崎宮前の三号線の様子。左側に筥崎宮、右側はお潮井浜があります。昭和の初期まではこの辺の三号線から右はまだ海で浜がありました。

 

筥崎宮

お潮井浜です。こちらの浜にある真砂を持ち帰り各家庭の玄関に備え、出かける際にふりかけ安全を祈願する習わしがあります。山笠の際もこちらのお潮井浜でお潮井取りをして祭の安全を祈願します。

浜の向こうに見えるのが福岡都市高速でその先は博多湾です。

 

筥崎宮

お潮井浜から三号線方面を見たところ。

 

筥崎宮

筥崎宮の大鳥居と高燈籠。さすがに大きいですね、迫力です。左側にある高燈籠は昭和初期までは博多湾を航行する船の目印であったそうです。昭和初期に埋め立てするまでは海岸線がこの辺まであったことを考えれば納得ですね。

 

筥崎宮

大鳥居から二之鳥居へ向かう参道です。この時は1月初め頃。

 

筥崎宮

二之鳥居になります。

 

筥崎宮

国指定重要文化財でもある筥崎宮の一之鳥居。慶長14年(1609年)に藩主黒田長政公が建立し貫と笠木の長さが同じ異色の鳥居で『筥崎鳥居』というそうです。

左側にある社号標の大社筥崎宮の文字は東郷平八郎謹書によるものです。

 

筥崎宮

唐船塔と夫婦石。

 

筥崎宮

樹齢約800年の大楠です。なんか凄いですね、絵本とかアニメに出てくる木のおばけのような生命感。

 

筥崎宮

さざれ石です。岐阜県と滋賀県の境にある伊吹山麓のものだそうで、こちらでも国歌君が代を伝えています。

 

筥崎宮

元寇の際の蒙古軍船碇石と西南学園高校より移築さた元寇防塁。当時国難を凌いだ鎌倉幕府の執権北条時宗、各地より結集し日本を外敵から守った鎌倉時代の武士達の魂を今に伝えています。

 

筥崎宮

国重要文化財の楼門。文禄3年(1594年)に毛利家・三本の矢で有名な名将・小早川隆景が建立し、『敵國降伏』の扁額が掲げらていることから伏敵門とも呼ばれています。

 

筥崎宮

じつは扁額にある『敵國降伏』なるイカツイ感じもする言葉の意味は、武力によって敵国を降伏させるという覇権主義的なものではなくて、我が国の徳の力により敵自らなびき統一される、そんな王道的な意味があるそうです。
現代の日本人はちょっと引いてしまいそうな『敵國降伏』という扁額には、何気に平和的な意味合いが込められているのですね。

 

筥崎宮

元寇の際に「我身をもって国難にかわらん」と敵国降伏の祈願をされ、我が国の安寧を祈った亀山上皇の御尊像です。木彫りで約6mあります。

 

筥崎宮

湧出石、この石にふれると運が湧き出るというパワースポットになっています。またこの石は国難の時に地上に姿を現すという古い言い伝えがあるそうですが、めちゃめちゃ姿を現していましたよ。

 

筥崎宮

こちらが御神木の筥松で、神功皇后が応神天皇の御枹衣を筥に納め埋め奉られといわれる浄地になり、標の松を植えられたと伝わります。

 

筥崎宮

筥崎宮拝殿のようす。

 

 

筥崎宮

筥崎宮本殿のようす。

御祭神は 応神天皇 神功皇后 玉依姫命

現存する本殿・拝殿は国重要文化財で天文15年(1546年)太宰大弐であった大内義隆が建立しました。九間社流造の立派な建築です。

 

筥崎宮

境内奥に鎮座する東末社 池島殿 武内社 乙子宮 住吉殿 稲荷社 

 

筥崎宮

西末社 龍王社 若宮殿 仲哀殿 厳島殿 民潤社

 

さすがに福岡の時を紡いできたそれも大きな歴史を感じることができる日本三大八幡・筥崎宮でした!見所盛りだくさんでございます。そういえば豊臣秀吉が九州平定後に博多の町割りをする為に留まったのもこちらの筥崎宮でしたね。深いな~

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筥崎宮公式サイト→こちら

 

メモ:飯塚市大分八幡宮。