縫殿神社|福岡県福津市奴山|裁縫の神様!日本中のファッションに関わる方は来ておいたほうがいいかもね

縫物・染色・機織りなど仁徳天皇の時代に最先端の縫物技術を伝えた呉の兄媛を祀る場所

時は応神天皇の時代までさかのぼりますが、この地域には応神天皇の母神功皇后が三韓征伐のさいに旗を織らせたという宗像市鐘崎の織幡神社が北側約12、3kmでしょうか、にあります。

時系列的には神功皇后が織幡神社で紅白の旗を織らせる→三韓征伐→征韓後応神天皇誕生→応神天皇即位→縫工女所望し呉に遣いを派遣→応神天皇崩御・縫工女渡来→兄媛のみ胸肩君所望により宗像に残る・弟媛、呉織、穴織は津の国へ→仁徳天皇時代にそれぞれが縫物など衣服技術を伝え筑紫国御使君・呉の衣縫・蚊屋の衣縫の祖となる。ざっくり言うとこんな感じでしょうか。

元々この地域には織物の技術があったが、神功皇后の征韓後に半島から優れた技術で作った衣服など(鉄器や須恵器なども)の流通が盛んになる。そんなに良いものなら自国でも生産したいと生産元であった呉から職人(縫工女)を呼び寄せ縫い・染色などより高度な服飾技術を学びそれをさらに進化・アレンジさせていったと考えれば自然ですね。

阿知使主・都加使主を派遣してから兄媛たちを連れてくるのに4年かかったそうです。(その間に依頼主である応神天皇は崩御される)今では想像できないくらい大変な旅だったことでしょう。

縫殿神社

そんな苦労も偲ばれる呉から来た兄媛・弟媛・呉織・穴織が祀られているのが、福津市奴山の大明神嶽に鎮座する縫殿神社です。新原・奴山古墳群からは東に位置します。

元は近くに縫殿田と呼ばれる田地(詳細地不明・地元の方ならわかるのかな)の北西に社があったそうですが天明2年(1782年)に焼失し、翌年に現在の地へ遷座したようです。普通に考えれば新原・奴山古墳群の22号墳上縫殿宮が元宮で、そちらから遷座されたと考えて良さそうですね。

22号墳の東側は現在も豊かな田んぼがありますが、縫殿田と呼ばれる田地が現在もあるのかな?

 

縫殿神社

裁縫の神様・縫殿神社の社地一帯です。左側は竹林となっていました。

 

縫殿神社

福津市による説明パネル。永享12年(1440年)につくられた梵鐘(県指定文化財、宗像大社神宝館に展示)、南北朝時代の大般若経600巻や江戸時代中期ごろの三十六歌仙絵扁額をはじめとする絵馬があるそうです。

筑前国続風土記拾遺の中で、戦国時代に地中に埋めた鐘がありしばらく知る人もいなかったが、村民孫九郎の夢中に神宣があり、湯裏というところの圃中の楝木の下より掘り出して当社に返し納めるというような記述がありましたが同一なのかな。でしたら当時の村民が機転をきかせて村にとって大事な鐘を守ったという素敵で誇れる物語もありますね。

 

縫殿神社

縫殿神社の一の鳥居。

 

縫殿神社

二の鳥居。

 

縫殿神社

縫殿神社の拝殿と境内一帯です。

祭神  大歳神・応神天皇・神功皇后・兄媛・弟媛・呉織・穴織

境内社 大明神社 菅原神社 須賀神社 大日霊神社

 

縫殿神社

狛犬。

 

縫殿神社

境内左側にはさらに上へとあがる石段がありましたが、この日は雨上がりで足元も悪かったので躊躇。石段をあがると境内社の石祠が祀らてあるようです。

 

縫殿神社

縫殿神社本殿。

裁縫の神様として宗像市奴山に鎮座する縫殿神社。福岡近郊で服飾関係のお仕事をされている方は訪れてみると良いかもしれませんね!

縫殿神社 福岡県福津市奴山812→グーグルMAP

縫殿神社の祭神でもありここ福津・宗像地域で裁縫の技術を伝えた兄媛ですが、普通に考えれば当地で結婚して子孫を残したと思われますが、さて実際結婚したのか・ならば相手は誰なのか・子は居たのか・結婚して子を残せる年齢だったのかなど興味がつきません。新原・奴山古墳にもつながることなのでどなたかすでに調査済みなのか、謎のままなのか気になりますね。(詳細がわかればまた追記します)