新原・奴山古墳群|福岡県福津市奴山・勝浦|古代からの歴史を感じることが出来るのどかな原風景が残る場所

南北8km、東西2kmの規模を誇る津屋崎古墳群(国指定史跡)の見学しやすい新原・奴山古墳群

場所は福津市勝浦地区になり、国道495号(起点北九州市若松区、終点福岡市東区)沿いとなります。福岡から北九州、北九州から福岡へと休日にドライブやツーリングなどするには景観的に山あり海ありで最高のコースかと思います。サイクリングを楽しんでいる方も多いですね。

そんなドライブコース途中に津屋崎古墳群の北東に位置する福津市勝浦・奴山地区に新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん)があり、国道495号から少し寄り道すれば東西800mの台地上に築造された5世紀前半から6世紀後半の古墳が見学できます。

市街地に比べ宅地開発からまぬがれた地域でもあり当時の様子を想い描きやすい場所だと思います。現存する古墳はここ新原・奴山古墳群だけで大小41基あるらしく全部とはいきませんが一部紹介したいと思います。

ちなみに新原・奴山古墳群は古来から神を祭る「筑紫の胸肩君」という豪族・胸肩君一族の墳墓と考えられています。

この場所から南西にある生家地区の大塚(大都加)神社には大国主命を祖とするとされる胸肩君徳善主神(むなかたのきみとくぜんぬしのかみ)も大国主命や田心姫命などと一緒に祀られてあります。(大塚古墳が造られた地区)

さすがに古代からの様々な歴史が交錯する地域ですね。

新原・奴山古墳群

国道495号線を福岡方面から北九州方面を眺めたところで、右側が新原・奴山古墳群になり左側にJAむなかた津屋崎カントリーエレベーターがあります。ちなみに国道から海岸までは約800mほどあり江戸時代に塩田として埋めたてられるまでは現在の渡半島・津屋崎干潟から勝浦まで続く深い入海だったそうで、海岸線は陸繋砂州で海の中道という名称は元はこの場所を示すものと考えられているそうです。今では海岸まで豊かな田んぼが広がり想像もつきません。

新原・奴山古墳全体を見学する場合はこの先にある練原の信号を右折して古墳群展望所を目指したほうがよいかもしれません。この時は22号墳上にある縫殿宮が見たかったのであぜ道から行ってみました。あぜ道はくるっとまわって元の495号にまた出ますが、農業用に使っていそうな感じで駐車場がありませんので迷惑とならないようその時々の状況でご判断ください。

 

新原・奴山古墳群

正面が縫殿宮が鎮座する22号墳で80mほどの前方後円墳、右手が20号墳で写真にはないですが左側に24号墳があります。縫殿宮ですが、北東に800mほどの場所の山腹にも縫殿神社があり日本で最初の裁縫の神様として鎮座しています。

縫殿神社には応神天皇の時代に、優れた織物・縫物の技術を取り入れるために阿知使主(あちのおみ)と都加使主(つかのおみ)を遣わし、三国時代の呉より招いた4人の縫工女(きぬぬいめ)の兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)・呉織(くれはとり)・穴織(あなはとり)と応神天皇・神功皇后・大歳神が祀らています。

4人の縫工女の兄媛・弟媛・呉織・穴織のうち兄媛だけは、宗像大神の神託によりこの地にとどまり染色・機織り・裁縫の技術を伝え従事していたそうで御使君(みつかいのきみ)の祖とされているそうです。

弟媛・呉織・穴織は津の国へ向いますが、その時応神天皇は崩御されていましたので大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)後の仁徳天皇の時代に奉仕し、縫物の技術など広めました。その後末裔は呉衣縫(くれのきぬぬい)・蚊屋衣縫(かやのきぬぬい)の祖となったようです。色々繋がっているのですね~

そういった経緯もあることからファッションやデザインの神様として御利益があるようです。

 

新原・奴山古墳群

こちらは20号墳とJAのカントリーエレベーターの施設で好きな構図ですが、海で魚介を捕り田畑で作物を育て山で木の実をとり獣を狩って暮らしていたんだろうな~と容易に察しがつく原風景と現代の農業がシンクロしますが、ここで眠っている先人達も当時とさほど変わらぬ風景(入海が田になっていますが)に安らかに眠っていそうです。

 

新原・奴山古墳群

22号墳。

 

新原・奴山古墳

縫殿宮の一の鳥居。鳥居をくぐって参道石段を上がると石祠があります。

 

新原・奴山古墳群

石段を上がるとこのような感じの場所に石祠があります。

 

新原・奴山古墳群

石祠の周りには散ったツバキがピンクの敷物のようでした。この場所から東に直線距離で約1kmほどの山中に織殿神社があり社殿があります。ここが元宮となるそうですが詳細はわかりません。元はこの地に残った兄媛のみ祀られていたようです。

この場所に祀られている縫殿宮も奴山の縫殿神社も、出身地である三国時代の呉の方角(現中国の南京あたり)に向けられて祀らている感じです。

 

新原・奴山古墳群

こちらは先ほどの22号墳の縫殿神社を下りて、南側にまわったところにある21号墳と墳上にある文永11年に建てられたという石塔です。重体至極梵字(いくつかの梵字を切り継いだもの)という国内では珍しい石塔のようです。現在は周囲にフェンスがしてありますので周りから見学する形となります。

鎌倉幕府五代目執権の北条時頼が諸国を見て回っている際に、平氏一族を弔うために建てたとも、蒙古襲来の戦死者を供養するため建てたともいわれています。石は津屋崎の渡地区から切り出された玄武岩だそうです。

 

新原・奴山古墳群

こちらは国道495号練原の信号から県道528号に入り奴山地区から眺めた新原・奴山古墳群です。田んぼが広がる写真左側奥にに全体を上から見下ろせる展望所があります。右側には先ほど見た22号墳とカントリーエレベーターが見えます。

 

新原・奴山古墳群

こちらが新原・奴山古墳群展望所で駐車場があります。時間に余裕があれば車をこちらに止めて古墳群周辺を散策しながら見学すると良いかもしれません。写真左側が古墳群一帯で正面には宗像大社中津宮が鎮座する筑前大島があります。

 

新原・奴山古墳群

展望所にある説明パネルと照らし合わせながら眺めることができ、古墳群全体が大島の方角に揃うようにして造られているのが良くわかります。

 

新原・奴山古墳群

写真右上に現在のカントリーエレベーターより先が入海だった頃の図があります。元の海の中道だったんだな~と思うと現代の福岡県民としては不思議な感じですね。

 

新原・奴山古墳群

新原・奴山古墳群の全景です。前方後円墳5基・円墳35基・方墳1基が800mの台地上に連なる眺めはなかなか壮大感がありますよ~

 

新原・奴山古墳群

南側にある前方後円墳ですが近くで見るとなかなかの見応えです。

そんな古代の歴史が満載で田舎の原風景が広がる新原・奴山古墳群でした。縫殿神社や大塚(大都加神社)の様子はまた次の機会にでも。

新原・奴山古墳展望所 福岡県福津市奴山→グーグルMAP 

津屋崎古墳群の詳細は福津市のpdfがわかりやすいかもしれません。津屋崎古墳群の出土品の一部や入海だった頃の図など掲載されています。こちら