福岡県遠賀郡遠賀町にある浅木神社

遠賀郡遠賀町にある日本武尊に縁のある浅木神社の本殿茅葺は良い感じ

遠賀郡遠賀町浅木にある浅木神社に行ってみました。

その昔日本武尊が熊襲征伐の凱旋途中に舟で立ち寄り、当時は島であったここ山頂にて四方を眺望し旅懐を慰め櫻木の枝を折り麓の岸に挿し植えたという言い伝えがあります。ちなみにその後第37代齊明天皇が筑紫に来たおり縁でこの山を朝木山・周辺を朝木村と呼ぶようになったのが現在の浅木の地名の由縁だそうです。その際に村の者佐野倉梯(阿部倉梯とも)に日本武尊が植えた櫻木の事を聞いた齊明天皇が悦び慕昔の念に堪えず、倉梯をもってして櫻木を守る木守の長と定めたのが隣接する木守の地名の起源だそうです。※福岡県神社誌をざっくり簡略。

 

浅木神社

浅木神社の一の鳥居で、横には社地流鏑馬々場処分碑があります。江戸時代はこの参道で流鏑馬もあっていたようですね。

 

浅木神社

参道です。

 

浅木神社

小さな石橋が残されてあります。

 

浅木神社

浅木神社の神門前ですがうん?石灯篭が…

 

浅木神社

この辺りではあまり見ないような感じの狛犬石灯篭?です。若干重そうではありますが狛犬頑張ってますね。

 

浅木神社

こちらはさらに頑張ってる感があります。首や足腰が鍛えられそうでもあります。

 

浅木神社

参道石段を登ります。

 

浅木神社

浅木神社の境内になります。古い歴史を感じさせますね~

御祭神 日本武尊 応神天皇 素戔嗚尊

昔時浅木神社の周辺は岡湊よりの内海であった。日本武尊熊襲御征伐の帰途、臨幸の神跡の霊地である。第三十七代齊明天皇(誕生594年-崩御661年)亦此の浅木山に御船を寄せ給う。この御代より鎮祭し奉る古社である。
足利将軍義満筑紫下向の砌り、執事細川頼之を以て幣帛を捧げ武威を祈り、足利家より社地領三町三反歩を寄進された。(1398年)又周防の國主大内義弘、大内義隆相続いて社殿を建立し社地を献じた。然しながら豊後大友氏の為に宝物、縁起類多数奪取せられると共に元亀三年社殿兵火に罹り焼失、その後仮りに小社を立つ、元和八年里民修覆を加へり。(1622年)黒田候筑前を領し明治維新まで七代の國主は社参を致され祈願を命ぜられている。
昔時は東光寺、西光寺、眞光庵等天台の三坊を構へて別當社増あり。大宮司に附属せり。東光寺、眞光庵は二百餘年前に廃亡し、独り西光寺のみ浄土宗に改宗して浅木にあり。
社地境内は山勢偉抜ならねど頂上平坦にして社殿あり静閑、周囲は古楠老杉老檜槇その他の樹木鬱蒼として枝を連ね社殿の左右に末社石灯籠、神輿舎あり、一見粛然として畏敬の念を起さしむ。引用:浅木神社境内略記

歴史の流れの中で戦火にもあった時期もありますが足利家・大内家・黒田家と崇拝されてきたようです。

 

浅木神社

神額です。

 

浅木神社

浅木神社の本殿です。茅葺になっていますね、良いな~維持管理は大変そうですが素晴らしいですね。

神社を清掃されていた氏子さんとしばらく話などしていたのですが、話の中である日見かけないお婆さんが来て、ああまだこの神社には神様がいらっしゃいますね~と言われて参拝していったことがあるそうです。その話も納得だな~と思うような空気感でしたよ。

ちなみにこの場所にはカラスも寄って来て、茅葺で巣を作るそうです。困ったもんでしょうが、それも見守っているようです。

 

浅木神社

上を見上げると枝と枝のあいだに巣がありました。都会でゴミを漁っているカラスには嫌悪感さえ湧いてきますが、田舎で見るこの光景にはほっこりさせられますね。

 

浅木神社

遥拝所です。元和8年(1622年)の社殿修復のさいに植えられたそうで、これまた立派なクスノキですね。

 

浅木神社

浅木神社のある浅木山麓には浅木小学校創立之地と書かれた碑がありました。当時は子供たちの学び遊びの場でもあったのでしょう。(現在小学校は1キロほど北に離れた場所にあります。)

そんな良い空間に鎮座する遠賀町浅木神社でした!

浅木神社 福岡県遠賀郡遠賀町浅木3丁目21→グーグルMAP

 

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