八幡西区花尾山・花尾城址を見てまわってみた

戦国時代初期の頃に鬼麻生の異名を持った武将がいた!らしいよ

鎌倉時代にはいって城が築かれ麻生氏の居城であった花尾城。

麻生氏は古くからの名家でその分歴史はかなり複雑ですが、こちらの見分諸家紋麻生氏のサイトが全体的な流れを考察・簡潔にまとめられていて参考になるかと思います。

花尾城は築城されて以降時代の流れの中で様々な戦いがあった地でもあります。

その中でも花尾城合戦は一般的にも有名でしょうか。ここ花尾城を舞台に当時北九州・中国地方で旺盛を誇った大内氏従属の麻生弘家・弘国親子と麻生家延の家督争いがありました。結果的には麻生家延側は数に勝る大内軍相手にここ花尾城で3年籠城し抵抗するも、周囲同族からの説得もあり大内氏と和議、麻生弘家に家督を譲り新たに岡城を築き移ることとなります。

当時のこの地域一帯の権力者であった大内氏の言うことをなかなか聞かないわ、籠城中に敵方の大内軍に糧食や酒を送り届けて余裕を見せたり、敵方に走ろうとした愛馬を思い違いで切ったり(後に悔やんで愛馬供養の塚を建てる)などの逸話が残ります。そういったことから当時は鬼麻生と呼ばれていたのかもしれません。

そんな麻生家延が3年ほど籠城した花尾城とはどういった堅城であろうかと登ってみました。(もちろん味方側からの物資支援などあったと思いますが)

 

花尾城

花尾公園入口です。

 

花尾城

良く整備されています。

 

花尾城

いきなり石垣が現れテンション上がりますね。

 

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中登山道を選択すると西櫓台→四ノ丸→三の丸→二の丸→本丸→出丸→井戸跡→馬場→東櫓台と山城・古城初心者でも順番に見て回ることが出来るので楽しめるのではないかと思われます。私はもちろん中登山道選択で。

 

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基本的にはこんな感じで整備されてあります。

 

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やっと開けたとこについたわ~と思ったら、西櫓跡で城址までの入口にすぎませんでした。マジか。。

 

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軽く心が折れそうになりますが攻め手の気分で登りましょう。

 

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四ノ丸です。

 

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どこへ行く途中だったか忘れました。おそらく三の丸に向かう途中だったかな~何はともあれこんな感じで当時の遺構(戦国時代後期にかけて増強されてあるそうですが)が残っていますので、初心者でも分かりやすく楽しめます。

 

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三の丸。

 

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二の丸。

 

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本丸、花尾城址広場です。標高351メートルだそうで、もちろん眺めは良いです。写真向こうに見えるのが皿倉山(標高622,2メートル)です。南西側にはさらに権現山(617メートル)・帆柱山(488メートル)が控え一段低い場所にあります。各山頂にはそれぞれ山城があったそうですが、家延の時代はすでにここ花尾城が本拠だったようです。

そりゃそうですよね、いくら戦国時代初期でまだ山城が一般的だったとはいえ他の三山は位置的・高さ的に攻めも守りも不便そう。この場所なら麓から攻められていざというときには各方面後方からの支援も比較的容易だったでしょうね。(調略されて裏切られたら一発アウトな感じでもありすが。。)

 

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こちらは花尾城址にある展望スペースです。北九州・遠賀地区はほぼ見渡せますし、皿倉山からの展望はもちろん素晴らしいのですが、皿倉山とあえて比べるとすると街との距離が近過ぎず遠過ぎずといった感じが良いですね。

 

 

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ここは本丸址から一段降りた出丸で、奥に井戸跡へと降りる道があります。この井戸跡は見ておかないともったいないと思いましたよ。

 

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こんな感じでかなり急な階段を降りていきます。

 

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こちらが石段を降りてきたところで、井戸跡あたりです。当時は命より大切であっただろう井戸をがっつり守るような感じになっていますね。

 

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石組みされた井戸跡、普段の生活はもちろんですが籠城のさいはこの井戸の水が無ければ何日も持ちこたえられませんよねきっと。。

 

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先ほどの井戸のまわりを石垣が固めてあります。ここの守護・警備はかなりの重要任務だった事がわかりますね。

 

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井戸の場所から馬場へと向かう途中の大堀切です。私でもわかるぐらいの大きさではっきりしたものですw

 

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馬場、ここから家延の愛馬が敵陣へ向かおうとしたのでしょうか。。

 

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櫓台、近代的なコレ何?と思ったのですがここに櫓がありましたよ的なものでしょうか、謎。。

 

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他にも付近にはニ・ニ六事件の青年将校の名が書かれたお墓。

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忠魂塔の石碑、陸軍大臣荒木貞夫敬書と書かれてありました。

 

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最初の花尾公園入口へ戻って右に下りていくと赤穂四十七士のお墓もあります、もとは大正時代に児玉恒次郎という医師だった人が高輪泉岳寺の許可を得て実物そのままのを当時津屋崎町(現・福津市)に建てたものだそうです。

花尾山、色々ありますね。

 

花尾城

こちらは曲里の松の木公園のところにある花尾城のモニュメント。こんな感じだったんですね~

 

花尾城

真ん中が河頭山で左が花尾山、周辺は北九州市八幡西区一帯になります。

結論、そのむかし花尾城に鬼麻生という異名で呼ばれた麻生家延が3年ほど籠城したらしいけど、実際登ってみてまだ鉄砲の無い弓矢の時代じゃここを攻城するのはそりゃ厳しいよねと思った。そんなお話でした。(その後の麻生家延ですが、岡城を築いて移ってからの話がほとんどないのでそのまま隠居したのかな。。)

花尾城公園 福岡県北九州市八幡西区熊手 

場所↓

花尾公園入口は初めてだとかなり場所がわかりにくい感じです。車だと河頭山公園の所を直進で上がって行き、坂を上がった突き当りを左折、少しすると花尾西登山口のバス停が左に見えてくるのでそこを右折、あとは登山者用の小さな道案内が出ていますので注意しながらかなり細い道を進む感じになります。

バス利用のさいは西鉄バスの花尾西登山口・花尾東登山口行きが黒崎駅と八幡駅から出ています。

花尾城址も掲載↓