織幡神社にはあの黒田長政も諦めたアレがある?!

戦国武将・黒田長政は初代筑前福岡藩主で黒田官兵衛の嫡男です

 

鐘崎

この小高い山の中に織幡神社があります。

福岡県民や大河ドラマ・戦国武将好きじゃなくとも名前くらいは聞いたことがあるんじゃないでしょうか?

戦国時代、朝鮮出兵の際や関ケ原の戦いでも武勇・調略面で大活躍したのは有名ですね。

そんな黒田長政ですが、関ケ原で第一の功労者として家康から御感状を賜ったのに、帰国後官兵衛にその時空いてた左手でなぜ家康をとらなかったと叱責されるエピソードも有名です。頑張ったのに可哀想。

黒田長政

黒田長政の肖像画を見るたびに、1枚上手であった父官兵衛から理不尽なことを言われ困ったちゃん顔に見えてしまってしょうがありません。

そんな黒田長政にちょっと縁のある織幡神社に行ってみました。

織幡神社ってどんなとこ?

織幡神社

織幡神社入り口。雰囲気ありますね、とてもきれいにされてます。

 

織幡神社案内

福岡県宗像市鐘崎にあり案内板によると祭神は竹内宿弥・住吉大神・志賀大神となっています。

創建について『宗像大菩薩御縁起』(15世紀中頃成立)によれば、神功皇后三韓征伐の際に、宗大臣(宗像大社の神)が「御手長」という旗竿に武内大臣(武内宿禰)の織った紅白2本の旗をつけて戦い、最後にはそれを「息御嶋(= 沖ノ島)」に立てた。そして武内大臣の垂迹の際、その神霊は異賊の襲来する海路を守護するため海辺に鎮座し、名は武内大臣が旗を織ったことから「織旗(織幡)」としたとする[3][4]。引用:Wikipedia

神社の由来。

平安初期に書かれた延喜式には、織幡神社は宗像において宗像大社に次ぐ神社として記録されていたそうです。

鐘崎という地は玄界灘に面し、古来より航海するうえで大変な難所であったようでここで航海安全を祈ってきたのでしょう。

 

海女の像

また西日本地域における海女の発祥の地とされています。海女の像が建立されています。

 

織幡神社参道

参道を進みましょう!

 

織幡神社階段

社殿は佐屋形山の中腹にあるので、階段を上がっていきます。

そこは猛暑をしのげる自然豊かな場所だった!

 

織幡神社社殿

上がりきったところで社殿があり、空気感が変わります。この日は35度近くの猛暑日でしたが木陰と海からの風がとても心地ち良い!

 

織幡神社境内

社殿わきには福岡県指定 天然記念物のイヌマキ天然林があります。

案内板によると裏山一体の境内林にはイヌマキの他、シイ・ハマビワ・ヤブニッケイ・サンゴジュ・オノオレ・シロダモ・タブ・トベラなどなど樹木に精通されてる方ならなおいっそう楽しめそうな感じとなっております。

 

織幡神社裏山

僕にはなにがどの木なのかわかりませぬが、酸素をたくさん吸収できました。

 

織幡神社本殿

織幡神社本殿。

 

織幡神社展望

社務所の展望所から鐘崎の漁港を一望。この鐘崎の漁港は福岡で一番漁船が多く、漁獲高も一番だそうです。玄界灘の新鮮な魚は大人気でございます。

 

黒田長政が諦めたアレに迫る!

ここ鐘の岬には、古来大陸から持ち込もうとした釣鐘が沖合に沈んでいるとの伝説があったそうです。

1500年頃でしょうか?時の宗像大宮司であった宗像興氏がその釣鐘を引き上げようとして失敗します。
そしておそらく黒田長政は福岡に来てその話を聞きつけたのでしょう。
長政『戦国時代を武勇でならしたわしに出来ぬことは無い!釣鐘を引き上げるぞ!』と言ったかどうかはわかりませんが、時の権力者です。そのくらいの勢いはあったことでしょう。
長政『ぬぐぐ。。これやっぱ無理じゃね?無理だよね?』と言ったかどうかはわかりませんが、引き上げに失敗したそうです。肖像画のように困った顔になったのが目に浮かびます。
案内板によると結局大正8年に山本菊次郎なる人が大金を投じて引き上げに成功したそうです。それが↓
織幡神社巨岩
ドーン!デカい!だけど釣鐘じゃない!!そうです海面から釣鐘に見えてたのは大きな岩だったのですね残念。
黒田長政もこれを知ったらさぞガッカリしたことでしょう。
織幡神社巨岩

それにしてもデカい!

一体何トンくらいあるのでしょうか?見当もつきませんw
しかし本物の釣鐘がどこかで眠ってるのかもというロマンを感じさせますね。
玄界灘
万葉集の『ちはやぶる 鐘の岬を過ぎぬとも 我は忘れじ志賀の皇神』という歌でも知られている場所です。
ちなみにここ鐘の岬あたりを境に玄界灘と響灘に名が変わりますが、『響灘』の由来は昔沖合で鐘の音が鳴り響いたことからだそうです。
京泊バス停
近くのバス停。バス利用の際は本数は限られますのでよく調べる必要ありです。
場所は↓